世界の螺旋階段を昇ろうとしないもの







 アメリカ合衆国のタナトス家、といえば裏に関わっている者全てが頭に刻
んでいる、口に出すのもタブーとされる名だ。


 知らぬが仏、とはよくいったものである。
 その名を知るものは決してそれを口にしない。それほど恐れられた存在。


 理由は二通りある。


 1つは、その強さ。タナトス家は二十歳になったときに独り立ちし、裏の
道を単独で歩む。運び屋、情報屋、そして主に世に知れ渡っている暗殺屋。
タナトス家の者の手にかかったら、誰一人として太刀打ちできないと噂され
ている。未だタナトス家の者の顔を見たものはいない、というのもその強さ
を裏付けている。

 2つ目は、世界一の規模の中国マフィア、黎神(レイシン)と友好関係に
あるからだ。この二つのことで、現在タナトスは世界の頂点といっても過言
ではない。


 それでも黎神やタナトスを滅ぼそうとする者は後を絶たない。己を正義と
して、立ち向かうのだ。しかしそれは結局人殺しに過ぎない。ようするに、
力があるかないか。それが世界であり、世界の理だ。勝ったら正義、負けた
ら悪。裏と表は限りなく紙一重であり、結局くっついているからこそその存
在が成り立つ。それだけの話。
 それと同時に、取り込もうとする者もいる。どうにか傘下に入ろうともが
き、馬鹿みたいに失敗する。その繰り返しを、今の裏社会はしていた。悪循
環とはこのことだろう。

 
 多分それは変わることはない。
 世の理が?――――違う。現実の力関係だ。
 タナトス家の地位は変わることがないだろう。
 タナトスはそれこそ、この世界で一番自由な存在だった。法も彼らをとら
えられず、政治家も目をそらすしかない。表にさえ出なければ、そこは無法
地帯と変わりないのだ。



 女は微笑む。


「勝てるわけない」


 隠れていた太陽が、雲から顔を出し真昼のスラム街の小さな路地を照らし
出す。むきだしの太陽が、うすら寒いスラムを照らし出す。
 女が冷め切った目で見ているのは、折り重なるように倒れた死体5体だ。
即死させられたのだろう。全部が全部、恐怖を感じる暇もなかったのだろう。
相手に気付かなかったのだろうか、何も考えていないような顔で、白目を剥
いて息絶えている。

 女は死体の傷口に視線を向ける。
 確実に急所を狙った一撃。心臓ではなくあえて眉間に照準を合わせるのは
余裕からだろう。それとも相手への挑発か。タナトスの長男はどうやら相当
のガンマンらしい。
 ただ、その力の誇示は無差別だ。今ここに転がっているのは、ホームレス
たちのはずだ。それともそれは勘違いで、今回の事件に関係でもあるのだろ
うか。理解に苦しむ。


 きれいだ、と純粋に呟いた。
 なんて吐き気を催さない、リアルでない死体だろう。
 死体をきれいだと表現したことは今までにない。見たことがあるのは異常
な惨殺死体かクスリ漬けで地獄へイッた人間ぐらいだ。なんて無駄のない殺
しだろうか。きっと殺された人間は痛みも感じていない。もし自分が他人に
殺されるとするならば、こういった殺され方をしたいと思う。
 

「勝てるわけないわ。だってタナトスは――――魔法使いだもの」


 その強さ故に、タナトスは恐れられる。
 アレは人ではない。死神だ、と。
 死神を怒らせてはいけない、魂をもぎ取られてしまうから。それは容赦な
く、モラルのかけらもない残酷さを持って。


 
 瞼を閉じ、そこに映る眩しい銀色に思いを馳せる。
 鉄と唐草の混じったような、むっとした悪臭が風に運ばれて鼻を掠めた。
 天を仰ぐ。どうして自分がここにいるのか。女は少しだけ後悔していた。 
面倒なことは嫌いだった、日本で自堕落な生活のままだったらどんなによか
ったか。黎神の養子に選ばれたとき、眩暈がしたのを覚えている。
 なぜ選ばれたか。そんなものは簡単だった。女は類稀なる知能を持ってい
た。それこそ力はなく、戦えなかったが、情報戦なら話は別だ。ただ今回の
事件だけは、勝てなかった。なぜなら、女には知能しか携わっていないから
だ。現場に忍び込むこともできない、普通の女だった。
 



「そろそろ後始末役が来る頃かしら」


 少女は遠くから近づいてくる気配と反対方向に身を翻す。気付かれないよ
う、気配を殺して。後始末役には見つかっても構わないが、タナトスにはで
きれば会いたくはない。うっかり殺されてしまう、なんてこともありうる。
ぞっとして、足を速めた。早く帰ってしまおう。


「アレを敵に回したら、黎神も終わりね」


 目を引く、鮮やかな深紅の着物と、艶やかな漆黒の長い髪が風にゆれた。







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