あるひとりの少女の独白






 そう、それはよくある話なのです。





 スラムのメス猿、というだけでございます。被害に遭うものは必ずしもそ
うではありませんが、少なくとも『彼女』は潔白の身でした。何かを”しく
った”わけでも、誰かを殺したわけでも、盗みを働いたわけでもありません。
それどころか彼女はスラムの小さな教会の修道女であり、いつでも、誰にで
も優しく、微笑んでいる女性でした。私は彼女の笑みが大好きでした、あん
なに優しい笑顔を見たのは初めてだったからです。そんな彼女が暴漢に襲わ
れたのは、そう、丁度1年半ほど前になるでしょうか。

 その時私は常に彼女の後ろを、まるで家鴨の親子のようについてまわって
おりました。彼女といると、そう、幸せがぽろぽろと私のところまで転げて
くるような気がしたのです。夕方ぐらいだったでしょうか、私はスラムを徘
徊するのが日課でした。ふらふらといつも通りに糞溜めのようなくそ野郎と
くそ女の巣窟を歩いていたときです。

 甲高い女の悲鳴でした。悲鳴などスラムではよく聞くものですが、その声
に聞き覚えがあった私は、すぐそこに駆けつけました。そう、ご想像の通り、
彼女はもう息絶えておりました。よっぽど抵抗したのでしょう、真っ白な顔
は赤黒く腫れて、女性らしい丸みとはとても言えない顔になっています。お
そらく抵抗したのが気に入らなくて、すぐに殺してしまったといったところ
でしょうか。男数人のグループが、この死体をどうしようかと考えている最
中でした。その男たちの人数?覚えておりません、私は彼らに興味がござい
ませんでしたので。顔も、髪型も、何も覚えていないのです。ああ、下品で
知性のかけらもない顔ということは覚えております。

 その男たちは私を見つけると、獲物が増えたと喜びました。私は彼女に駆
けよりました。ですが声をかけられませんでした、どう見ても彼女は死んで
いましたので。そのとき私はどうしようもない喪失感に襲われました。悲し
くて悲しくて仕方がなかったのです。


 私もスラムで育った人間です。他の人間はどうでもいいし、暴力で全てを
解決したこともありました。奪い、殺し、笑ったこともありました。殺すと
きは何を考えているのか、ですか、それは残酷な答えです。何も考えていな
いのです。殺す側にしたら、殺される側の人間は邪魔でどうでもいい人間だ
からです。
 そう、それをあまんじて生きてきた私が、どうしていいか分からなくなっ
たのはあのときが初めてのことでした。人を愛していたのだと感じたのはそ
のときが初めてでした。しかしそれに気づいたところで、幸福だとは感じま
せんでした。彼女はもう死んでしまったのです。気づいたことがあまりにも
重すぎて、泣くことができませんでした。それなのに笑うことはできました。
それからどうしたか?ご想像の通りでございます。
 

 あまりにもあまりにも悲しすぎて、よく覚えておりません。とでも言って
おきましょう。どうしても知りたいとおっしゃるなら、スラム街へ赴いてみ
てはいかがでしょう。このような場所で語るような内容ではありません。
 彼女の墓は作りませんでした。私が覚えていたらいいのです。私は彼女を
一生忘れることができないでしょう、ですが彼女にとらわれるということは
ありません。それは彼女が望まないことだからです。男は一人だけ生かして
おきました。ああ、もちろん使い物にならないように両腕を、私のエモノが
食ってしまいました。ですがしかし、いけませんね。大きな生ごみはすぐ腐
ってしまいますから。
 
 なぜ生かしたか?私を覚えていてもらうためですよ。あれらはどこかで見
たことがありました。そのとき調子に乗っていた奴らで、ボスの顔も地下マ
ーケットで見たことがあります。運がいいと思いました。狩れるものがたく
さんあるじゃないかと。いつか狩りに行く、その日まで私を忘れないように、
残った独りに刻みつけた、刻んだつもりでしたが――――。

 どうやら失敗だったようです。そうですよね、両腕を切り落としたら止血
ができませんもの。出血多量で死んでしまったんでしょう。



 だってあなたが、私を知らないということがいい証拠でしょう?


 ええ、知ってますとも。復讐なんて綺麗なことじゃあないんですよ、ただ
ね、私は終わるべきところを逃してしまったのです。キリがない、私を止め
られるものがない。殺すことで、泣くことで、彼女が還ってくるのならどん
なにいいでしょう。そんなことはありえないのです。キリストが泥水をかき
こむのと同じくらいありえないのです。


 だからこれを最後にしたいと思います。この銃を握るのも、もう最後だと
信じます。常闇の中で生きるのには、私は灯りを知りすぎてしまった。飽い
てしまった。


 大丈夫ですよ、私はね。もう就職先も決まっています。国籍も買いました。
あなたは要領が悪かった。そういうことなんでしょう。スラムで当たり前の
ことをして、たまたま、トチ狂ったくそ女にひっかかってしまったのだから。
雇われ口など、表には数多く存在するのですよ、皮をかぶっていればいいだ
けなのですから。居心地がいいものです、知ってしまったからには、私はそ
れらが欲しくてたまらない。

 あなたと私が、どうしてこんなにも違ってしまったのか。さあ、そんなこ
とは分かりません。そしてどうでもいいことでしょう、私はあなたに興味が
ないのですから。あなたも私などに興味はないでしょう?同じことです。

 今こうして銃を向け合っているのはね、ただ、そう、出会ったものが悪か
ったのでしょう、お互いに。良くも悪くも、人を変えるものは些細なもので
す。

 さて、そろそろ終わりにしましょう。
 若旦那様が御帰りになるまでに、玄関の掃除を終わらせなくては。婦長殿
にどやされてしまいますから。地獄へ、先に行っていてください。



 では、さようなら。







あるひとりの少女の独白