ふいに覗く影を どうやら『アルジュナ』というのは、リドルが率いる組織の名前らしい。反 エルフを唱えているらしいが、それを唱えているのはリドルの周りの部下たち だ。彼はただ、戦場を把握し、指揮を執るだけと聞いた。 アルジュナはローランドと協力関係にあり、エルフの暴動を抑えようとして いる。もちろん、民衆の混乱を防ぐために公表することはないが。 1ヶ月前からリドルは、ローランドでエルフを見かけたという情報を元に、 アルジュナの精鋭の兵士を連れて捜査して回っていたそうだ。 そして、アルジュナは『軍』ではなくあくまでも組織だ。兵士が足らない。 そこで、リドルが行く先行く先で見つけた良い人材をアルジュナに誘っている。 軍は歩兵や騎馬兵の寄せ集めだ。アルジュナは特殊部隊のような働きをして いる。アルジュナに所属する全員が全員、少なくとも魔術を扱える上にかなり 戦闘能力がある。強い者だけを集めた組織。だからこそ人員不足になるのだろ う。 だから――――リドルはキルシュをアルジュナに誘った。 「……くやしい、」 自分で何も変えることのできないことが。変えられると思っていた自分自身 が。なんで最初、リドルは自分をアルジュナに誘わなかったんだ、誘ってくれ ていたら何か違ったかもしれない、などと八つ当たりする。したところで何も 変わるはずはない。 キルシュは今、ローランドから1千里ほどある廃墟を拠点としているアルジ ュナの一室にいた。キルシュに宛がわれた部屋だ。特別小さいということもな く、広いというわけでもない。廃墟なだけあって、質素な上に、壁や床、家具 にところどころ罅が入っているが。 ローランドから新しく支給されたものなのだろうか、事務机と簡易ベッドだ けは綺麗だった。それにほっとして、ベッドに横になる。 今日、この部屋に来た。リドルに誘われたとき、すでにそこはアルジュナだ ったのだ。拒否権なんて用意していないんじゃないか、と言いたかったが、言 えない状況にいらだった。 ちなみにあの日から3日経っているが、それは熱を出していてリドルの部屋 で寝込んでいたからだった。そのときにアルジュナについての知識と、これか らのことを聞いた。 これからは魔力の暴走が二度とないように訓練するそうだ。熱が引いたから、 多分今日からなのだろう。誰がどのようにして教えてくれるのかは聞いていな い。なにぶん高熱だったために、意識が朦朧として自分から聞くことがほとん どできず、リドルが適当に説明したいことを説明するだけだった。後は会話と いった会話はしていない。 彼はこの部屋に案内するがいなや、足早に去っていった。彼の部屋は隣なの だが、そこへ向かうわけでもなく、細長い廊下を歩いていった。そのまま立ち 尽くしていたキルシュは、このままいるのもどうかと思って部屋に入ったのだ。 どうしたらいいのか、というのがないのは非常に楽だった。それでもリドル に対する不信感や、説明不足、自分の不安定な状況がじわじわと不安を広げて いく。 これから、どうなるんだろうとキルシュは思いながら、目を閉じる。 「…………」 窓を開け放ったまま、時折風が入ってくる。どうにも眠くなるような気温で、 キルシュはうとうととしていた。いろいろなことが頭を巡っているが、考える のが面倒で寝ようとしていたが、ふと思いつく。 もし、村に帰ったらどうする気なんだろう。もしかしたら、そのまま放って おいてくれるのではないだろうか?そうしたらまた、リシェルたちとのんびり した、不変の温かい生活が待っていてくれるのでは? 「逃げようなんて考えるなよ」 「……ッ、うわあ!?」 キルシュはベッドから跳ね起きた。いつのまにか自分を見下ろしていたリド ルが、方眉を吊り上げて不機嫌そうに睨んでいる。睨んでいるといっても、た だ彼は普通に見ているだけなのだろうが、その何者にも興味を示さない冷たい 蒼の目がそう感じさせるのだ。 「そ、そんなことないです」 「どもってる」 「……そんなに私が珍しいですか」 キルシュは、リドルを睨み上げた。その目も、どこまでも冷たい蒼。似てい るようで似ていない、感情のない視線が静かに交わる。 「そうだな、人間でそんなに魔力があるのは珍しい。だが俺がお前を誘った理 由はそんなことじゃない」 「じゃあ、何」 「お前の魔力だ。お前は危険すぎる、絶対量が多すぎるんだ」 「は?」 「とりあえず制御はできるようになってもらわなくてはならない。そして、魔 力を見つけた以上逃がすわけにもいかない。ようするにそういうこと」 ふ、とリドルは笑みを浮かべる。今まで見た中で、一番ほんとうに近い笑み。 キルシュは言っていることが理解できなくて、ただリドルの顔を見つめるだ けだ。つくづく綺麗な顔だなあと思う。切れ長の目に、すっと通った鼻。喋ら なければすばらしい見た目だ。だが今はそんなことどうでもいい。むしろそれ にさえ苛立った。何で自分がこんなに混乱しているのかさえわからなかった。 「じゃあなんで、最初私を誘わなかったんだ!そしたら、」 「お門違いのやつあたりだな……」 彼は不思議そうに首を傾げた。ふと彼の体から血の匂いが漂ってきた気がし た。リドルはラフな黒のシャツとズボン姿になっていて、「多分」と前置きを して呟くような小さな声で言った。 「俺と似ているから、かな」 「は?」 リドルはおおげさに肩をすくめた。 「正直な話、お前をアルジュナに誘うつもりはなかった。魔力の覚醒もしてい なかったし、放っておいても支障はないと思っていたから。だから一度は見逃 した。何も知らないならそのほうが楽だろう」 戦争なんて、女子供が知らなくていい。と、リドルはため息を吐くように零。 そういえば、初めて会ったとき、リドルが言いかけて止めたことがあった。 それがそのことだったのだろうか。 「でも……エルフと会うことは予想外だった。俺の部下のせいでお前の魔力が 覚醒したのは事実だ。だから俺はキルシュ、お前をアルジュナに誘った。残念 だがアルジュナの現状を考えても、解放された魔力を放っておくわけにはいか ないんだ。それが理由さ。まあ色々気になるところは他にもあるんだが」 少し、見直した。見た目としゃべり方から、もっと冷徹な人だと思っていた。 怒鳴った自分が今更になって恥ずかしくなった。何を小さな子供みたいにやつ あたりをしたのだろうか。 彼の言っていることはキルシュの安全にもつながる。あのまま魔力を暴走さ せたままだったら、きっと自分も殺していたに違いない。そんなの嫌だ。拳を 握り締める。リドルにありがとう、と言いそうになった口を、無意識につぐん だ。なけなしの自尊心が、それを邪魔した。 「私、絶対にこの力を自分のものにしてみせる。強くなりたい」 「言っとくけど、戦争で使われるんだ、もっと駄々こねても構わない。お前は 子供だ」 「戦争……」 キルシュは首を振った。いくらリドルが大人でも、自分が子供でも、やって いいことと悪いことがある。それぐらいの区別はついた。彼に感謝することは あれど、駄々をこねるなんてしてはいけない。立場ぐらい、痛いほどわかって いた。 「まずはその魔力を制御できるようにしなくちゃな。だから、師匠をつける」 「師匠?」 「入って来い」 きい、と耳障りな音を立てて開いた扉の向こうを見て、キルシュは息を呑ん だ。 そこには、ハニーブロンドの瞳を細めて微笑む、小さなドワーフの少女がい た。キルシュは無意識にベッドを転げ落ちるように飛び降りて、少女の前に立 つ。口を開くが、上手く喋りたいことがでてこない。 首からちらちら見える包帯は、肩まで巻かれているのだろう。それが、小さ な体躯の少女には不似合いで見るだけでも痛々しい。柔らかな笑みを浮かべる 少女は片手を差し出した。鈴の鳴るような、可愛らしい声が言葉を紡ぐ。 「これからあなたの師匠になる、アリス=マクラウドです。よろしく、ね?」 どうやらみんながみんな、嘘吐きらしい。 戻る? 進む?