浅はかな挑発




 





「まあ座ってくれ」
 
 電気の明かりに誘われた蛾が、広い部屋に小さな影を落としている。
 昼か夜かも判断しづらい、締め切ったオフィスに2人の青年がいた。他に
人は誰一人おらず、人の気配のない静寂に満ちたそこは、まるで廃墟だ。
 西洋人の青年は、皮製の上質なソファに深く腰掛け、熱のない冷めた目で、
ひたと机を挟んだ向かいに座る東洋人の友人を見すえた。


「久しぶりだなぁ、リオルグ。前に会ったのは確か1年前だったか」


 リオルグと呼ばれた青年は軽く頷く。


「忙しすぎてな。やっと落ち着いてきたところだ」


 言いながら、東洋人特有の漆黒の髪を疲れたようにかきあげた。それより
も深く沈んだ色の瞳を伏せて、長いため息を吐いた友人に、青年――――ド
ロイは苦笑した。


「随分と疲れてんな。そのうち逝っちまうんじゃねえか?」

「お前はいつも同じ顔だな」

「鍛え方が違うからだろうよ」


 情報専門に比べられたくない、とドロイは鼻で笑った。尤も、ドロイも言
うほど筋肉があるようには見えないのだが。
 


「さて、前置きはもう結構だ。俺を呼んだのはまさか再会のためだけじゃあ
ないだろ?」


 ドロイは白い陶器のティーカップに口をつけて紅茶を啜った。
 リオルグも同じように紅茶の喉に通し、緩慢な動きで足元に置いてあった
シルバーのケースを机の上に置いた。ずっしりと重たい音が室内に響いた。
彼はおもむろにそのケースを開ける。


「!」


 ドロイは目を見開いた。
 ケースの中には、軽く億単位はあるだろうという多量の札束が詰め込まれ
ていた。リオルグが、静かな低い声で言う。


「仕事の依頼をしたい」


 彼の若さには不自然なほど落ち着いた声音だ。ドロイはそれに動じること
なく軽薄に微笑む。


「こりゃ気前がいい……珍しいな、リオルグが俺に頼むなんて、明日には核
戦争でも始まるんじゃねえか?いつも全部自分でやってんのに、どうしたん
だよ、ん?」


 それに、と少し間をおいて続ける。


「こんだけ貰うとなると、かなりヤバイ内容みたいだな」

「……まあな、普通の人間には任せられない」

「へえ?信用されたもんだ。腕がなるぜ。最近平和でよ、体が鈍ってたんだ」


 言いながら、行儀悪く机の上に足を乗せ、考えるように腕を組んだ。そん
なドロイの行動も慣れたもので、リオルグは気にせずに話を進めた。


「ここ数日、ウチの組織の人間がよく死ぬ。殺される、といったほうが正し
いか」

「くそ野郎もいたもんだな。お前ン家のやつらを次々殺せるなんて、ある意
味尊敬するぜ。命知らずもいいとこだ。何人ヤられた?」

「今日で32人目だ」


 聞いて、ドロイは茶化すように口笛を吹いた。
 口元を弧に描き、明らかに興味を示している目が楽しげに細められた。


「面白ェ」

「――――だな。俺の所からも調べているが、まだ誰も帰ってこない。まる
で尻尾がつかめないんだ。俺はお手上げ状態。だが放ってもおけない状態だ」

「ま、確かに。俺は最終手段っつーことか。合法でもないが単身は動きやす
い。なるほど、相手もわかっていないからこの札束ねえ……面倒くせえ、ホ
ントに何もわかってねえのかよ」

「ああ。だが部下が妙なことを言っていたな。……魔法がどうのこうのって」

「……俺を疑ってんのか?」

「まさか、それならお前に頼まないし姿も見せるつもりはない」


 ドロイが探るようにリオルグの暗くて底なしの黒い目をじっと見つめた。
 そして口から紡ぎだされた言葉はまるで感情がこそげ落ちたように、ひど
く淡々としていた。


「はっ、そりゃいい。あんたもイカれてんな」

 リオルグはドロイの変化に気がついたが、追究して教えてくれるはずもな
いことを知っているので、あえて気付かないふりをした。何か知っているの
だろうとは予想がついたからだ。


「魔法どうのこうのは、もういないが、俺の部下が死ぬ間際に言っていたこ
とだよ。ヤクでもやっていたのか何なのか……あまり役に立たない情報だが、
気にならないか」

「…………」


 ドロイは誰に向けてのものか分からない嘲笑を浮かべた。つまらないこと
を嫌う彼特有の、子供じみたそれ。
 

「その依頼、俺の好きにしていいんだな?」

「ああ、頼む」

「任せろ、大切な友人の頼みだ」


 胡散臭い台詞を至極まじめな顔をしている友人に浴びせながら、ドロイは
ゆっくりと立ち上がった。


「どうにもコレ、俺への挑発としか受け取れねえんだ」

「あまり派手にやらかさないでくれよ」


 電気の熱で蛾が床に落ちた。


















 君は魔法を信じるかい?なんてリオルグに聞いてみたことがある。
 出会ってから間もない頃だ。突然振られた話に、しどろもどろになりなが
らもリオルグの答えは簡潔だった。


「見たら信じる」


 ようするに、見ることができなければ信じないということだ。魔法とは不
思議なものである。それはふざけたもので、それでも人の頭の中からそれが
離れることはない。誰だってそう。ただ、それだけのもの。ファンタジック
で、くだらないもの。


 
 カタカタカタ……
 


 キーボードを打つ音だけが狭い部屋の壁に反響して響いている。
 そこはシンプルな部屋だった。素朴なホテルのごとく、必要最低限の家具
しか置いていない。後あるのは、パソコンと山になっている多量の書類ぐら
いで、無駄なものが一切ない部屋に、青年がいた。


「うわ、もう朝かよ……チッ、徹夜か」


 カーテンの隙間から零れる鋭い朝の光に眉を顰める。朝日に、月のような
澄んだ色の銀髪が反射した。


 それは異質な色だった。


 脱色したような色ではなく、自然に青年と調和している。だからこそ青年
はその狭い世界で浮いていた。澄んだ色の銀に対して、その灰色の瞳は鈍い
色をしている。その相反する色合いが、青年に独特の雰囲気を与えていた。


「くそ眠ぃ、最悪な気分だ。リオルグめ、面倒なこと持ってきやがって」


 あくびをかみ殺しながら、エンターキーを押す。すると画面は徹夜で調べ
上げた情報が一気に表示された。それに目を通しながら、固定したままだっ
た肩を回す。ぱきぱきと関節が鳴る音がする。長い間固定して作業していた
せいだ。


「……入ってこいよ」


 何もない空間を見つめながら呟くと、音もなく部屋のドアが開けられた。
「失礼します」と入ってきたのは初老の男だ。優しげな顔と、性格が窺える
ようなきっちりと着込まれたスーツが印象的だ。これでもか、というほど着
崩している成年とは正反対だった。
 ふてくされたような顔をしたドロイに、彼は苦笑しながらまた静かにドア
を閉めた。


「お忙しいところ、すみません」

「……ホントに忙しいんだけどな」


 視線だけ動かして男を見る。


「何だよ朝っぱらから。お前が処理できるものは処理しとけって言っただろ」

「……リオルグ様から依頼を受けたと伺いました。あまり、危険なことをさ
れないでください」

「んなことか……お断りだ。俺は、スリルがあるほうが好きだからな」


 何もない空虚な時間は無意味だ。ただ生きているなんて、死んでいるのと
同じ。少なくとも、青年のセカイはそうだった。


「それにもうすぐ二十歳になる。俺は俺のやりかたでやっていくさ」


 暗い灰色の目が、男を映す。その目が口出しをするなと語っている。しか
し男は穏やかな笑みを浮かべているだけだ。昔からそうだった。エクスだけ
は、何を言っても穏やかな笑みを浮かべるだけだった。他の目付役みたいに
逃げることもなかったし、そしてなにより賢かった。


「ドロイ様は後々タナトスの名を継ぐお方、ということを覚えて下さい」

「お前は昔から口を開くと出てくるのは説教だ。くそくらえ」

「そう言われましてもね。個人的にもあなたは無理をなさるので」

「……」


 ドロイは大きくため息を吐いた。
 半眼で男――――エクスを見る。どうもこの男は扱いづらい、と心の中で
もう1つため息を吐いて、視線をパソコンに移した。そして入り口に立った
ままのエクスを手招く。


「これ、今回の依頼なんだけど、どう思う」

「もう調べたんですか」

「おおまかなことはね」


 エクスはドロイが膝を立てて椅子に座っている前のパソコンの画面を覗き
込んだ。その文字の羅列を見ているうちに、エクスはだんだんと顔をしかめ
ていった。それに対してドロイは皮肉めいた笑みを浮かべる。


「これはまた……」

「面白いことになってるだろ、こりゃ明らかに俺に関係がある」

「ですねぇ。――――ルーディ様に報告は?」


 その名を聞いた瞬間、ドロイは盛大に顔を顰めた。


「してないし、お前もしなくていい。親父にはまだ教えるな。この仕事は俺
の担当だ。わかったか、エクス」

「承知しました」


 エクスは深々と頭を下げた。
 彼の生真面目な恭しい態度に、いつまでも慣れない行動だと思いながら、
それを胡散臭そうに見つめる。この世界で生きながら、生真面目なんてどう
しようもなく笑えないジョークだ。


「何か?」

「別に」


 ドロイは笑いながらパソコンを強制終了させる。力を抜いて椅子にもたれ
こんだ。数センチあけたままの窓からやわらかく風が入って2人の髪をひか
えめに揺らした。
 ドロイが呟くように、しかしエクスへの言葉を投げかける。
 

「お前、魔法って信じるか?……ん?ああ、お伽噺の話じゃねえよ」
 

 その問いは唐突だった。
 こうした、ドロイが意味の成さないようなことを急に他人に問う、という
のは彼の癖だった。それを知っているエクスは驚くわけでもなく不快に思う
わけでもなく、穏やかに微笑む。


「私は、信じていますよ」


 その問いに意味があるのかないのかは、本人でないエクスにはわからない。
ただの暇つぶしなのか、思いついたことを言っているだけなのか。ドロイの
その癖は幼い頃からのものだった。
「人を殺したとき、何を感じるか」
「人類と鳥類、比べたらどっちがすごいと思う」
 など、時々問われることは、いつもどうでもよく、くだらないものばかり
だ。それでも1つだけわかることは、ドロイが聞きたいときに聞いている。
それだけしかエクスにはわからない。彼は自由奔放で、物事に鋭く、頭が回
る。タチの悪い性質を体現したような存在だ。
 


「信じていますよ。私は魔法使いを知っていますからね」


 ドロイはその答えを聞いて、口の端を吊り上げた。不思議な光を宿してい
る瞳が猫のように細められる。


「――――そりゃ、頼もしい部下だ」


 低く笑いながら、続ける。


「今からスラムに情報を集めに行く」

「スラムですか」

「不満か?クソと血とゴミの臭いぐらい我慢しろ。その辺に情報屋がいるら
しいが、所在がはっきりしていないから毎回いちいち探さなくちゃいけない
んだ。だけど腕はいい……エクスもついてきて欲しい。どうせ後始末が必要
になる」

「承知」


 エクスは背筋が寒くなった。
 後始末、というのは後始末のことだ。おそらくドロイを見たスラムの者す
べて、ドロイが手にかけるであろうものの。後始末のために手配する人間は
何人がいいか、考えながら浅くため息をつく。
 それも、いつものことだ。
 彼をそうさせている当の本人の、新しい玩具を与えられた子供のように目
を輝かせて、この状況を楽しんでいるのがありありとわかる浮ついた雰囲気
も。


「銃は菓子のオマケじゃないんですから、いつでもどこでも誰にでも引き抜
かないでくださいよ」

「ヤー、それは無理な相談だ。相手次第だぜ、こういうもんはな」

 
 ドロイは引き出しを開けて、子供の頃からずっと一緒だった相棒を取り出
し、朝の光にかざした。銃身が鈍く、鋭利に、不気味に光った。使い込まれ
ているのに、手入れが行き届いた年代を感じさせない美しい輝きをしている。




「いくぞ、ヘマすんなよ」








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