いずれは重なる道標の証に楔を打つ 間章 雪が降っていた。宙に舞うように降る粉雪は、さながら幻想的で、吐く 息を凍りつかせるほど冷たかった。レンガ造りの地面に、真白な雪がうっ すら積もっている。中央広場の噴水は凍っていて、その意味を成していな かった。 ロストエイダス帝国。 共和国咏泉と正反対の東に位置する国だ。さながら環境も正反対で、帝 国には砂漠が多く、潤わない土地だ。枯れ果てた大地。だからこそ帝国は 共和国と敵対していた。共和国の潤った大地さえあれば、この砂丘に食糧 を運ぶことができる。 だが数年前からは異変があった。 乾いた暑さしか感じられないこの国に、しんしんと静かに積る、雪。静 寂。寒さと、食物のなさで死んでいく人は少なくない。それこそ、貧富の 差が激しく、一般市民はなすすべもなく息絶えていった。 この国を出ようとも、馬車を借りる金もなく、誰もこの国から出られな い、生き地獄。牢獄のような時間に、民は苦しんで、少ない作物を懸命に 育てて命をつないでいた。 対して貴族は自由に国を出入りできるため、食料になど困っていなかっ た。王都もそうであって、国の端などに目もくれない。豪奢な家に住むの は裕福な人間だけだ。後は、ぼろぼろの掘っ立て小屋で身をよせて震える しかない。 「異常現象っていうんだっけ、こういうのさ」 中央通りの公園のベンチに、少年は腰かけていた。積もっている雪など 気にせず、足をぷらぷらとさせて雪を蹴り飛ばしている。茶色いダッフル コートに、耳あて、マフラーと重装備だ。ブーツには雪が積もってしまっ ている。 亜麻色の髪の少年は、15、6歳ほど。幼さを残す顔立ちに、健康的な 肌。強い視線が特徴的な、野良ネコのような雰囲気を持っていた。そんな 少年に、不釣り合いな、珍しいとされている拳銃が2丁、腰のベルトのホ ルスターに下げられていた。 「異常気象だ。ばか」 少年に低い声で答えたのは、隣に座る20代前半の男だ。 闇を写し取ったようなくせのある漆黒の髪、それと同じ色のどこまでも 深い闇色の、野心が見え隠れするような切れ長の瞳。それは男に近寄りが たい印象を宿している。こちらも白いコートを着て、少年と同じような重 装備をしていた。違うのは、武器だ。 「ばかって言うなよ、ちょっと間違えただけだろ」 「お前が世間知らずなだけだ」 「平民には仕方ないんですよーだ」 「思考を止めるな、本物のばかになるぞ」 呆れたように言って、男は立ち上がり、ベンチに立てかけてあった、身 の丈ほどもありそうな大剣を手にとって、ベルトに腕を通し、背中に吊っ た。思わず震えるような寒さを、2人はまるで感じていないようだった。 そんなことはどうでもいい、とでもいうかのように。軽口をたたくのは、 いつものこと。それともこれからの緊張で、だろうか? 「水分は水分でも、凍ってちゃあなあ」 結局は厳しいだけじゃんね、と少年は苦笑した。 「死人が増えるだけだなあ」 「ねえ、なんでこんなになったんだろうね」 「そんなこと知るわけないだろ。ばか」 「またばかって言った」 「たぶん、雪になるのはこの場所の標高が高いからかな」 「ああ、それ前聞いたね」 帝国は大きな砂丘の上にある。最初こそ栄えていたものの、現在の王にな り変ってからは特に貧富の差が激しく、国民も減ってきてしまっていた。そ れに加え、この異常気象。砂漠であるはずの熱帯から、急速な冷え。 もともと昼に熱く、夜冷えるといった気候だが、それはあまりにも度を越 していた。火を炊けない平民は、ひとり、またひとりと息絶える。絶望して 物盗りになる、殺される。そんな連鎖がずっと続いている。 それに、だんだんと熱くなるはずの時間が減ってきているのも確かだ。こ のままでは、氷に覆われた大地となるだろう。それを見越してか、王はよう やっと危機感を覚え、余計共和国を求めるようになった。このままでは国が 滅びてしまう、と。いっそ手を組んでしまえば早い話だが、そうもいかない のが政というものだ。 共和国も堅かった。いつ裏切られ攻撃されるやもしれない、と、その大き な門を開けようとはしない。そんな状態がしばらく続いている。その間にも、 死んで行く者がいるというのに。 そんな中で2人は、雪の降る屋外にいた。 「――――行くか、アレス」 「……ねえ、ウィル」 「なんだ」 「どうして君はオレに協力してくれるの?」 真っ直ぐに向けられた純粋な視線に、ウィルと呼ばれた男は一瞬、言葉を 飲み込んだ。この視線には弱いな、と心の中で零す。自分にないような、意 志をそのまま伝えてくるような強い目。強い意思。 「友達思いだからな」 軽薄に笑い、アレスに背を向ける。「それじゃ不満か?」問うと、アレス は苦笑に近い笑みをこぼした。どの口がそれを言うのか、と。白い息がふ、 と宙に溶ける。粉雪がそれを覆うように降る。 「オレだってばかじゃないよ」 囁くように、言う。言外に、他の理由があることを知っている、と。そう、 彼はもう子供ではない。大人に近い年齢だ。考えることもできるようになっ た。それを教えたのはほかならぬ、自分自身―――――。ウィルは思わず口 元を笑みにゆがめた。 「俺だって、お前を見捨てるほど薄情じゃないけどな」 「それは、知ってる」 アレスも立ち上がった。 「今のところはそれでいいよ」 「今のところは、ね」 「ああ……ウィル、行こう。共和国に」 オレに手を貸してくれるんだろ?と、少年は男に訊いた。 それは愚問だった。男は目を細め、空を仰ぐ。曇天が2人を見下ろしていた。 ウィルは目を伏せる。そして、呟くように言った。 「もう戻れないのに、いいのか」 「それも知ってる。わかってるんだ、でも、どうしてもオレはやらなくちゃな らない」 少年は、それを逃げと称さない。目的を追いかけることの無謀さを、彼は知 らないのだ。勝負は勝てると確信したときしかするものではない。賭けは潤っ ているときにするものだ。ウィルは困ったように息を吐く。 「それが戦争につながるものだとしても?」 「オレにそれは関係ない」 彼はときどき知らず残酷なことを言う。知らない。それこそが残酷だ、と思 った。アレスは気づいていない。自分がいま、どれだけの命を殺すと言ったか、 気づいていない。――――無知とは恐ろしい。 否、彼も馬鹿ではない。気づいているだろう。しかしそんなこともさして気 にしないほど、彼の肝は据わっている。覚悟している。子供のくせにいきがる なよ馬鹿。 そんなことを覚えながらも、 それでも自分が今から彼に教える知恵は、 「じゃあ耳を貸して。共和国の門を通る方法だが――――」 帝国には変わらず雪が舞っている。 noveltop nextstage