魔法鏡はどんなに覗いても向こうが見えない






  






「何も、見えないな」



 紅蓮は悔しそうに頭を掻いた。目の下には、疲れで薄く隈ができている。手に持つのは何十枚
にもなる束の書類。文字の羅列が書きなぐってあるそれを、すべて目を通したが、紅蓮の求める
答えは見つからなかった。


「紅蓮、何してるの?」


 ひょい、と紅蓮にあてがわれた小さな部屋のドアを開けて、少女が現れた。紅蓮と同じような
年ごろだ。ブロンドの短い髪に、翡翠色の眼。身にまとうのは、騎士団の黒服。服を着ている、
というよりも、服に着られているような、雰囲気が、彼女に同調していなかった。


「……エリアスか」

「なにその、何だお前かーみたいな言い方」


 紅蓮は勘付かれないように、自然に書類を机の中にしまった。そこに錠をかけて、エリアスに
向きなおる。エリアスは驚いたような顔をして、「すごい隈」と呟いた。仕事そんなにあるの?
と訊かれたので、笑ってごまかしておいた。

 

 エリアスと紅蓮は相部屋になっている。


 あれから、エリアスとはすぐに会うことになった。なぜなら与えられた部屋が同じだったから
である。
 考えてみればそれもそうだ。今まで失念していたが、戦力としての同じ性別は自分しかいない
し、当たり前といえば当たり前のことだった。医療班ならば女性のほうが多いが。
 
 エリアスは小さなころの面影から性格、全て変わっていなかった。クリスによく似た容姿です
ぐに彼女だとわかったし、エリアスもヘイゼルの髪の色や雰囲気で分かったそうだ。


 今まで一人部屋として扱っていた部屋に、もう一人が追加されたような感じ。最初会ったとき
は大変だった、と紅蓮は遠い目をした。無駄にテンションが上がっていた彼女は、泣き出すし抱
きつくし殴るし。連絡しなかったことに対しての怒鳴りようも凄かった。



 でも、3年で彼女が昔と変わっていないことに、少なからず安堵した。



 ――――あれから、2日経った。



 なにはともあれ、再開をはたした紅蓮は昔と同じように接していた。ただその場所が、騎士団
ということ以外は。



「紅蓮、今日鍛練に参加させてもらったんだけど、あまりできなかったわ」

「できなかった?」

「体がついていかなかったっていうか」

「……練習するしかないんじゃないの」

「そうなんだけどね、やっぱ女と男の力の差があるじゃない」


 ふむ、と紅蓮は考える仕草をしたあと、エリアスと眼を合わせた。


「じゃあ、男が力なら、こっちはスピードで勝負すればいい。あとは隙をつくことだな、男は大
ぶりの武器を手にしていることが多いだろ。力強い攻撃を出すには、隙もでてくる」


 そこまで気にするほどじゃないんじゃないか。
 体力はつけたほうがいいけど。



 そう言えば、エリアスはなぜか頬をふくらませた。確かにエリアスに体力はない。ついでに言
えば、運動も得意じゃなかった気がする。紅蓮だって皆でする鍛練はサボってはいても、自分だ
けでするときは怠らない。一応基礎体力は上げている。筋肉は1日でできるものではないし、あ
って不利はないからだ。


「あなたは昔から喧嘩が強いわ。私はそんなことないもの。簡単そうに言わないでよ」

「ええ。そうだなぁ、紗理隊長に言えばいいんじゃないか?あの人は面倒みがいい人だ、鍛練に
も付き合ってくれる、と思う。たぶん」

「たぶんなの」

「たぶん、だ」


 後は1人で体力でも作ってなよ。それより、と紅蓮は立ち上がって、ベッドに座った。その横
にエリアスも座る。


「あんた、何でこっちに来ようと思ったの?」


 純粋な疑問だった。正直な話、彼女にはこの仕事は向いていないと思うし、やってほしくない
ことだった。これは、守る仕事じゃない。殺す仕事だ。そして国の駒になって駆け巡らなくては
いけない。
 訊けば、彼女は急に大人びた顔をした。瓜実顔が、すこし歪んでいる。それは紅蓮が知る感情
のどれにもあてはまらないような、難しい表情。こんな表情も作れるようになったんだな、と感
慨にふけった。そして彼女はゆっくりと、はっきりと訊き返した。


「なら、紅蓮はどうしてここにいるの?」

「――――どうしてだと思う」


 に、と紅蓮は笑みを浮かべた。いささか子供じみた、悪戯をするときの子供のような目をして、
エリアスを見る。エリアスは困ったように、「質問を質問で返さないで」と言っているが、それ
はこちらのセリフだった。


「国を守りたいから?」

「違う」

「自分の力を試したいから?」

「違う」

「――――お金が、欲しいから?」

「――――違うね」


 ますます、笑みを深める。怪訝な顔をしているエリアスのほそっこい肩に手を置き、覗き込む
ようにして、耳元で囁くように低く、言う。




「殺すためさ」



 冷たいなにかが這うような感覚に、エリアスは勢いよく飛びのいた。目を丸くして、信じられ
ない、とでも言うような表情を浮かべている。なんだか猫みたいだ、と思った瞬間、吹き出して
しまった。


「冗談だよ」

「……この、ばか!」

「痛い!」


 エリアスは遠慮なしに紅蓮の頭を叩いた。患部をさすりながら、まだ笑い続けている紅蓮に機
嫌を悪くしたのか、エリアスはそっぽを向いた。冗談、か。冗談ね。紅蓮はひとり、自嘲した。
この手を汚しているくせに、よく言えたものだと。

 エリアスの子供っぽい動作に、なお笑いながら、呟くように言う。


「あんたの場合、アレだろ。どうせ、クリスのためにお金が欲しかったんだろ?」


 ここの給料はいいからなぁ、と続けると、エリアスの肩がぴくりと震えた。ああ、図星だな、
と紅蓮は窓の外を見た。黄色い鳥のつがいが、木にとまっているのを見つけた。なんでか、真っ
直ぐな視線に射抜かれるのが嫌だった。よどみのない、正義という盾を持った瞳。まるで自分が
みじめで卑しく思える。それを求めながら、嫌っていることを自覚していた。だからどうしても、
嫌味を口にしてしまう。



「金が欲しいなら、他の場所で働いて、かけもちして、そうしたほうがいい。あんた、ココで何
をするか本当にわかってんの?」


 言外に、殺すところだ。と言うと、エリアスは少し黙った。


「わかってる……」

「そう」


 今にも泣きだしそうな、落ちてきそうなほど低い曇天の下を、真っ白な鳩が飛んでいく。朝か
昼かもわからないような天気に、溜息を吐く。本当に、できるのかな。そう思いながら、紅蓮は
会話を終了しようとしたが、エリアスが言葉を紡いだ。


 聞き取りにくい、かすれた声。



「時間が、ないの」

「……」

「お母さんが病気だって、知ってる?」

「!」

 思わず、息が詰まった。呆然と緑色を見返す。
 2年前に、医者に、早く薬を使わないと治らないと言われた。でもクリスは、お金がなく、そ
れをしようとしない――――そう告げたエリアスは、今にも泣きそうな顔をしていた。紅蓮は何
も言うことができなかった。


「そっか……だからあんなに、」


 寂しそうな顔をしていたのか。

 ごめん、と言おうとして、やっぱり口をつぐんだ。そんな言葉、軽いものでしかないと自分自
身知っていたからだ。謝ってどうする。自分は結局何もしないのに。がんばれ、という言葉もお
かしい。

 ふ、と瞼を落として、ベッドに横になった。



「少し寝る」

「うん……私は、ちょっと外散歩してくるね」


 ゆらりと、影が揺らめいたような気がした。

 





 暫くすると、シンが話しかけてきた。

 気遣いも何もないような、逆に無神経でもない無感動さはいつでも変わらないようだ。


「どうして金をやるって言わなかった?君は金なんて必要最低限しかいらないだろ」

「それを言ったところで、エリアスが是というわけもないよ」


 そんな性格なんだ、と紅蓮は横になりながら呟いた。
 ゆっくりと呼吸する。ぼうっとしていると、シンが苦笑いするように言った。ほんとうにそう
だったのかは、見えないからわからないが。


「君もあの子も不器用な子だね」

「誰が」

「誰だろう。少なくとも私ではない」


 それきり、シンは沈黙した。紅蓮は不満そうに眉を顰めていたが、ふと窓を見やった。少し、日
が傾きかけている。壁時計を見やると、4の数字のところを短針が指していた。そろそろ、自分の
部隊の訓練の時間だ。
 紅蓮は緩慢な動作で立ち上がり、ベッドに立てかけておいた刀を手に取った。それをベルトに下
げて、黒服をきっちりと着込んだ。走りやすく加工されたブーツを履き、やれやれと訓練場に向か
う。


 人っ子一人いない廊下を、進む足音だけが静寂の中に響き渡る。足取りは重くもなく、軽くもな
かった。紅蓮にすれば、訓練そのものが面倒なことにほかならない。


 ぐるぐると胃の中を這いずり回る不快感。いらいらする。なんで、どうして。でもだから?矛盾
した思いの中で冷静な理性が鎮座している。感情に身をゆだねることもできないのか、と自分の性
格が嫌になった。



 何に、いらついているのか。

 そんな事もわからない。





「紗理隊長」



 訓練場は賑やかだった。遅れてきたのは紅蓮だけらしい。2人1組になって、組み手をしている。
紅蓮が来たのに気づいたのは、紗理だけだった。



「やっと来たのか。今日はサボりかと思ったが――――」


 紗理の目が、紅蓮の腰で止まった。薄く息を吐き、口が弧を描いた。漆黒の鞘の、刀。いつもは
布でくるまれているはずのそれが、漆の色を見せている。



「たまにはマジメにしようかと思ってね」

「ほう?」


 紗理は面白そうに片眉をあげた。「マジメに、ねえ……?」興味深そうに反芻する。そして、自
らの腰のナイフを2本、引き抜いた。紅蓮に向けて、静かに構えてみせる。風がゆるりと凪いだ。


「俺もお前の実力を知りたいと常日頃思っていたんだ」


 どうだ、1戦、本気でやりあってみないか。と言う隊長は本当に楽しそうにしていた。紅蓮はそ
れを見て、好戦的な笑みを浮かべた。すらりとした、刃が長い刀を抜く。赤みがかった刀身が、持
ち主の闘志に反応するように鈍く光りに反射した。


 血を吸ったような刀の色に、紗理はわずかに驚きの色を浮かべた。


 紅蓮も静かに、中段に構える。

 周りが、静かになった。音がなくなった。耳が痛くなるような沈黙。集中しているから聞こえな
いのかなんなのか。周りが2人の殺気に耐え切れなくなったように、固唾を飲んで視線をよこす。
少なからず、紗理が紅蓮に刃を向けていることに驚いているようだった。それに対して紅蓮が刀を
構えていることにも。


 紅蓮が訓練において、今まで刀を抜くことはしなかった。自主連のときだって訓練用の安い武器
を使っていた。抜く必要がないと思っていたし、本気になる必要もなかったからだ。本気を、見せ
る気も。この刀を見せる気、さえも。




「今日は気が立っているんだ。ちょっと相手してよ、隊長」



 それは、エリアスの事だろうか。シンがからかったことだろうか。どちらも否、探している情報
が中々見つからないからだ。苛々とした気持ちが発散する方法を、他に知らない。


「いいだろう、来い」




 その声を合図に、紅蓮は地を蹴った。






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