墓標に刺さる白い十字架を蹴り倒して



  





「戻るの?」


 ふとシンに訊かれたので、頷いて返す。今まで来た道をたどる最中、昔のことを思い出した。


 倒れていた紅蓮に、理由も訊かず手を差し伸べた人物。それが彼女、クリスだった。まるで
彼女は天女のようで、闇に光が射すようだった。こうやって、表情をつくることができるよう
になったのも、『他人』のことを知ることができたのも彼女のおかげ。


「ヒト、とは……絆を大切にする生き物だと思っていたけどね」


 ぼそりと呟くように言ったシン。彼は人間でなかったような物言いをする時がある。それは
表現の仕方が一般と違うだけなのだろうか。それとも人間ではない何かなのだろうか。


「どうしてそう思う?」


 回りが森で誰もいないので、ヘイゼルは問い返した。


「どうして。説明するなら墓が一番いいな。ヒトは墓をつくるだろう?その中には何も入って
いないものもあれば、もう人型ではなくなったものが入っている。それなのにどうしてヒトは
墓というものをつくるのか。私は、そのヒトとの絆を保ちたいがため、だと思うね。違うかも
しれないけれど――――形をつくっておかなければ、忘れそうになる。それがヒトは怖いのだ
ろう」

「そう、かもしれないね……」

「死んだら、時が止まる。そのままになる」

「朽ちるのに?」

「朽ちるのは他のものが生きているからだ」

「なるほど」

「あくまで、私が思っていることさ。気にしなくていい」

「そう。でも、私もそう思う――――」


 それに、と続ける。「私はクリスのことを大切に思っているよ。彼女のおかげで生きている
ようなものだしね。シンも知っているだろ?」


「知ってるよ。だから言ってる。もうあそこに戻る気、ないんだろ?」

「それこそ、気にしなくていい。生きてれば、また会える」


 会う気もないくせに、そんな勇気ないくせに、そう言うほかになかった。それはシンには見
透かされていることだろう。それでも、シンは何も言わなかった。それから騎士団――――城
に戻るまで、シンも紅蓮も何も口にすることはなかった。







 
 騎士団は王直属、ということもあって城を拠点としている。兵舎は城の離れにあるが、階級
の高い者城に住んでいるようだ。紅蓮は一般兵舎に住んでいる。


 一般兵舎は寮のようになっていて、外に出ると訓練場が広がっている。騎士団に与えられて
いる土地はこれでもか、というほどに多い。設備も整っていて、他の軍部に比べてあきらかに
待遇がいい。


 城のそびえたつように大きい石造りの門をくぐりぬけ、庭園のようなところを通って行く。
近道をするために、今は使用されていない倉庫に穴が開いているところをくぐりぬける。する
と兵舎が目の前に現れた。もう慣れた足取りだ。


  そのとき、後ろから声をかけられた。



「紅蓮」


「――――これは、紗理(シャリ)隊長殿。私に何か用?」



 振り向くと、若干二十代後半の男がいた。短い銀髪に、細面の顔に不釣り合いなほどに強い
目が印象的な男だ。騎士団の、黒を主とした色のコートを羽織っている。腰にはナイフが二本
下げられていた。



  彼の名は赤戸(セキト)紗理という。

 この若さで騎士団の隊長を務めている、王が認めるほどの有能さをもった男だ。


「相変わらず、嫌味ったらしい言い方だな。お前は」


「才能がなかったら即クビだぞ」と、紗理は困ったように笑った。訓練のときに見られる厳し
さはない。 話していると、優男にしか見えないが、人は見た目によらないな。と紅蓮は思う。
空を仰ぎ、溜息を吐く。首を2度、3度振って、あらためて紗理を見た。



「才能ねえ……こんなのをよく雇っておくよね、軍もさあ」


 こんなの、といえば紅蓮のことだが、少女はいつだって周りに合わせようとはしなかった。
鍛練は毎回一人で行っているし、訓練と称した打ち合いには面倒だからといってほとんど参加
せず、かつ愛刀を抜いたこともない。それを不満に思う兵士は数知れない。


「こんなの?その減らず口どうにかしてやりたいな」


 紅蓮は苦笑する。


「怖い怖い。任務はちゃんとこなすからね、かよわい私は」

「任務地を血の海に変えたやつがよく言う」

「細かいね。そんなに私が不信?」

「そう思うならちゃんと訓練に参加しろ。お前の風当たりも厳しくなってくる」

「知ってるよ。そんなこと……」


 厳しい顔で言う紗理は、隊長、という肩書にふさわしい目をしていた。紅蓮は肩をおおげさに
すくめて、おどけるように微笑んだ。社会性に欠ける、なんてことはずっと前から彼だってわか
っているはずだが。それこそ必要な時にだけ頭を下げるような。


「もちろん、必要なときは、そうするつもり」

「……お前は、何を考えているんだ?」


 太陽の燦々とした光が、厚い雲にさえぎられる。影が落ちた地面で、影が薄くなる。2人の髪
を、風が撫でる。木に止まっている小鳥のさえずりが偶然かなんなのか、止む。ゆっくりと、口
の端を吊り上げ少女は言った。



「さーね」


 冷たい紗理の視線を真向で受け止め、それよりも冷たい視線で返す。一睨みしただけで人を殺
せそうなほど鋭利な夕暮れの瞳は、何を思うのかわからない、ただただ無を映していた。何も語
ろうとしない意志がありありとわかる。


 沈黙が、重く落ちる。しばらくすると、紗理がひとつ、諦めたように深いため息を吐いた。



「お前はいつも、そうやってはぐらかすんだな。お前自身の資料についてもそうだ」


 そう、紅蓮は騎士団に入るときの身分証明のために提出した資料に、クリス=ヴァンセントの
義理の娘で、10歳の頃に引き取られたとしか記載しなかった。もちろん年齢、性別などのこと
は書いたが、過去のことは一切書いていない。


 尤も、年齢が年齢なので元罪人ではないだろう、ということで採用は許可されたものの、その
せいで紅蓮の周りには人がいない。周囲から見れば、出身地不明の怪しいやつ、だ。あるところ
では「帝国からのスパイじゃないのか」などとも噂がされている。



「紅蓮、お前を採用したのは、お前の実力を見抜いてだ。だが、噂を知ってるか?」

「私が帝国の者、という噂のこと?」

「そうだ」


 紅蓮は面倒くさそうに頭をかいた。


「私にとってその噂は興味のないこと。私が帝国のものという噂が流れようと、私はここで与え
られた仕事を全うしようと思っているし、なにより私は帝国に行ったことがないんでね。だけど
正直、母国なんて、自分と天秤にかけてみれば、明らかに自分に傾くよ」

「……そうか。だが、俺が信用していても他の者が信用するとは限らないぞ」

「へえ、隊長は信用してくれてるんですね嬉しいですねー」

「……解雇していいか?」

「冗談ぐらい受け取ってよ」


 わかりにくい性格しているな、と紗理は苦笑いを零した。それでも紗理は、こんな答えが返っ
てくることが少なからずわかっていた。紅蓮という人間は、そのような人間であると認識してい
たからだ。軍人には好まれないタイプだが、紗理はそこを気に入っていた。知りたかった。


 左右されない意思の場所、を。


 お互いに思うことは知らない。


 紅蓮が、「そういえば」と話を変える。



「何かあったんだっけ?」

「ああ、新しい団員が来たんだが、女でな。世話はお前に任せたい」

「――――」


 新しい、団員。


 数瞬、目を見開く。呼吸する。紅蓮はゆっくりと口の端を上げた。紗理は気付かずに続ける。



「エリアス=ヴァンセントという」

「エリアス」


 鸚鵡のようにその言葉を反芻する。
 兵舎のほうで待っているようだから、見つけたら声をかけてやってくれと言い残し、紗理はそ
の場を去って行った。冷たい風が、紅い髪を浮かせて、落とした。小さく、唇だけ動かす。


 ――――なんて運がいいんだ。


 朱色の目を細めて、懐かしき面影を探す。
 紅蓮は兵舎に再度足を向けた。心なしか、その足取りは速く。





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