走っていた。 どれだけ走ったかわからないぐらい、疲れてもう動きたくないと速度が落 ちてきた足を懸命に動かして。肺に酸素が足らない。ヒュウヒュウと情けな く鳴る喉は渇いていて、目からは拭う余裕もなく流したままの涙が、煤だら けの頬を伝う。裸足の足の裏に、木の枝や石が食込んで傷をつけていく。 (痛い、痛い、痛い、痛い) 思考が回らない。頭がくらくらとして、今にも倒れそうだ。 あたりを埋め尽くす業火が、体を赤く染めている。火のない場所を求め、 町外れの森を少女は走っていた。 ここまでも火が回ってしまっている。 呼吸の荒からの肺の痛み、傷の痛み、そして心の痛みという細い糸が少女 を現実に繋いでいた。何度も意識を失いかける。それでも生きるために、足 を止めることはできなかった。 先ほどまでいつもどおりだった穏やかな小さな街は、一瞬で姿を変えた。 ――――そう、戦争にまきこまれたのだ。 耳に響く悲鳴、怒号、断末魔。 他人のことを気にしている余裕は誰にもない。力のないものは、ただ逃げ 惑う。悲鳴の中に、友達や親戚の声も混じっていた。しかしそんなことを微 塵も考えられないほど、少女は追い詰められていた。 どこまで走っても、視界から朱色が消える気配はない。 「――――ッ!」 少女は走るのを止めた。瞳を驚きと恐怖に見開いて。 止まった途端に疲れが体を襲い、力が抜けて跪いてしまった。今まで築き 上げた強がりが、一気に崩された気分だった。こうなれば、もう立ち上がる ことができない。 目の前に、隻眼の男がいた。 片方の目は血のように赤かった。黄昏の色火の色に似て、さらに深い何か だった。魔眼のように、少女を地面に縫い付ける鋭い目。 返り血を浴びた秀麗な顔に浮かぶ、悲しげな目。相反して、至福が口元を 飾っている。狂ったような表情は、逆に少女を安心させた。 この人ならば痛みもなく殺してくれるだろう、と。 諦めが、少女の思考を支配していた。 血塗られた銀色の細長いナイフが、ゆっくりと振り上げられる。 ことり、 少女の掌から、藍色の宝石がはめ込まれた、清楚な美しさのあるシンプル なネックレスが、小さな音を立てて地面に落ちた。それを視線だけで見て、 少女はきれいに微笑した。自嘲にも似た、悲しげな笑み。 銀色が、瞬いた。 戻る? 進む?