力の代価、行き場のない力






 気がついたら、見えたのは天井だった。ぼんやりとする頭で、視線だけを動
かして状況を確認しようとする。簡素だが清潔そうな白いベッドに、キルシュ
は横たわっていた。どうやら夕方のようだ。部屋は朱色に染まっていた。


 シンプルにまとめた部屋だった。
 決して狭いとは言えないが、広いともいえない部屋。誰かの私室だろうか、
部屋の中央には事務机が置かれていて、その上には書類の束がいくつも重なっ
ている。

 
 静寂が、辺りを支配していた。
 風で窓硝子が揺れる音以外、何も聞こえない。


 頭がぼうっとしている。目のあたりがぼんやり熱くて、体がだるい。目を開
けるのも億劫に感じる。吐いた息は熱く、自分がどうしてか熱をだしていると
いうことに気付くには十分だった。



「起きたか」

「わ……ッ!?」


 突然現れた影に、キルシュは反射的に体を起こした。すると体中に痛みが走
る。まるで頭から爪先まで筋肉痛かのようだ。ベッドの上でもんどりうってい
ると、上から呆れたような声がかけられた。


「おとなしく寝ていたほうがいいんじゃないか」


 その声の主を見て、キルシュは目を見開いたまま固まった。

 尖った耳に、漆黒の髪と瞳。左目を白い眼帯で覆っている男。だらしなく纏
った黒服にはアズと同じ金の羽の刺繍。まさしく彼は、以前キルシュを助けて
くれた男だった。


「レンさん、どうして」


 かろうじて出た言葉は、そんなことだった。

 いろいろと聞きたいことがあった。どうしてレンがいるのか、アズはどうし
たのか、どうして自分は助かったのか、


 ――――あれは、夢だったのか。


 多すぎて、何を聞けばいいか、わからない。


「とりあえず、落ち着け。今のお前は不安定な状態だ」

「別に、大丈夫です。ちょっと、体が痛いけど」

「そういうことを言っているんじゃない、魔力が安定していないんだ」

「……は?」


 ぽかんと口を開けているキルシュを見て、レンは訝しそうに眉をひそめた。


「自覚がないのか」

「自覚って……」

「お前がエルフに会ったとき、魔力を暴走させたんだ。もともと持っていた魔
力が無意識に覚醒したと言ってもいい。それで今お前は体がついていけなくて
熱が出てるはずだし、体の節々が痛むだろう?」


 レンは水桶の中からタオルを取り出し、絞ってキルシュの額に乗せた。ひん
やりとした感覚が、額の熱を吸い取っていく。キルシュは話についていけなく
て、言葉を返すこともできずにレンの顔を凝視していた。その様子のキルシュ
に、面倒くさそうにため息を吐いた彼は「本当に何もわからないのか」と聞い
た。


「だって、何、魔力とか……意味わかんないんですけど」

「じゃあ、魔力って言葉を知っているか?」

「エルフとかが使う、妙術の元ですよね」

「ああ、一般的にはそういわれている。そもそも魔力は魂そのものなんだ。誰
にでもあるもの。それをエルフは上手く扱えている、それだけのこと。もとも
とエルフは不老なだけあって魂の量も多い。だがまれに、人間やドワーフでも
多くの魔力を持つ者が生まれるケースがあるんだ」


 それがお前だ、とレンはキルシュを指差す。
 だがそんなことを言われても実感のないキルシュはただ眉を顰めるだけだっ
た。そしてひとつ、一番聞きたいことを思いつく。


「アズさんは」

「問題ない。1週間もすれば肩も動くようになるだろう」


 それを聞いて、キルシュはほっと息を吐いた。正直自分のことよりも、アズ
のほうが気になっていたのだ。もし自分のせいで誰かが死ぬことになったら、
 ――――と思うだけで背筋が寒くなる。


「よかった……」

「ああ、お前には礼を言わなきゃいけないな。お前のおかげで俺の部下が命拾
いしたんだ」

「私のおかげ?」


 ふと、レンの瞳が翳った。蒼の目が、冷え切った氷のように、まるで生き物
でないような無感動さを宿している。おもわずキルシュは唾を飲み込んだ。

 緊張で、口の中がからからだ。喉が渇く。
 ゆっくりと、彼の口が弧を描く。


「よく聞け」


 一言一言が、静かな部屋で、脳に直接伝わってくるようだ。聞きたくない、
と本能が告げる。こんな感覚、前もあった気がして吐き気がした。


「お前の暴走で、街は半壊だ。
 
 2人のエルフはそもそも人型をしていたかさえ疑わしい状態になっていたよ。
皮膚が焼け爛れたような、食いちぎられたような微妙な死体だったがね……。
一応民間人に気付かれないように後始末は完璧にしたが、

 街は戻せない」


 今、なんといっただろうこの男。キルシュは自分の耳を疑った。街が半壊?
あの大きなジェリダンが?そんな馬鹿な、と頭の中で自分を嘲る。そんなだい
それたこと、できるはずもないと。それでもレンの目はどこまでも静かで、ま
るで冗談には聞こえない。


「嘘だ」

「嘘じゃないさ」

「嘘」

「嘘じゃない。なんなら見てみるか」

「嘘……だぁ、もう、なんでよ」


 髪にぐしゃ、と手に押し付けた。
 そもそも自分に魔力があるかさえも信じられないのに。キルシュは額に乗せ
られたタオルに手を伸ばす。自身がこうして生きていることが、その非現実的
な言葉を『ほんとう』にしてしまう。
 じゃあ自分は一体何人殺した?どれだけ壊した?あの宿屋の主人たちは……
 考えただけで吐きそうだった。
 どうしてこんなにも上手くいかない?


「お前、『アルジュナ』に入る気はないか?」


 それは一体なんだ、と問う前に拒否できるはずもないだろう、と男は言う。

 そう、彼は知っている。
 キルシュがどこにも戻ることができないということを。自責にかられるよう
な場所に、行けはしないだろうと。何でも見透かしているような冷たい眼は、
ただキルシュを見つめる。


「俺の名はリドル=バレンシア。――――お前は?」


 詠うようになめらかに問う。彼は最初から分かっていた。嘘の名前を名乗っ
ていたこと。全てを見透かされているような気がして、何が悔しかったのか自
分でもわからないが、唇をきつく噛み締めた。

 自分の求めていた安寧の世界が、崩れていく。リシェルたちが、なぜか遠く
感じた。どうしてか、もう戻れないような気がして。それなのに留まることを
知らず変わり続ける世界を、求めていた。


「――――キルシュ」


 差し出された、大きく骨ばった手に小さな手を重ねた。








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