大事なものが増えていく









 「…………、」


 最近になって覚えた魔術式を呟きながら、掌に意識を集中させる。空気とコ
ンタクトを取るように、自分が空気に溶け込むようなシンクロ感覚を覚えた。
  ――――今だ。息を吐いたと同時に、掌を向けていた場所に爆発が起こった。
 もう慣れたものだ。最初こそ驚いたが……。

 魔術師を訓練させている場所。まるでだだっ広い荒野にしか見えないが、此
処は異空間に属する空間らしい。ようするに、リドルが結界を張って他に被害
が出ないようにしている場所だ。ここまで大規模な結界となると、余程の魔力
がないと完成しない。それぐらいは分かるようになっていた。
 

 むしろこれはヒトのやる領域じゃない。エルフにだってこんなことできるの
だろうか。


 アリスは最近見かけない。どこへ行ったのか、「少し用事があるから」と言
っていなくなってしまった。アルジュナのどこにも、だ。きっと何か重大なこ
となのだろう、と考えて誰にも、何も訊けないでいる。唯一の救いが、自分で
訓練できるようになってからいなくなったことだろうか。


「中々上達したね」


 ルル、と呼んでいる、最近仲よくなった妙齢の女性は笑って近くに来た。泣
き黒子が印象的な、活発そうな女性だ。ただ、筋肉質なのは否めない。


「ルルさん。ありがとうございます」

「あんたの努力のおかげだろ。制御はできるようになってるんだ、アタシを超
すのも数日の問題かな」

「お世辞はいいです」


 今はまだ、彼女の方が圧倒的に強い。戦いというものを知らないからだろう、
キルシュは感覚を掴むことが難しかった。苦笑すれば、彼女は心外そうに目を
みはった。


「これでも随分と魔術について調べてきたんだ、それぐらいはわかるよ」


 まあバレンシアさんには負けるけどね、と大らかな笑みを浮かべた。浮かべ
ながら、腕立て伏せを始める。


「あの人はハーフでしょ?だけど、たぶんエルフよりも強い。生まれつきかな?もしかしたら、ハーフだからかもしれないけど……きっと努力したんだろうね
え。劣等感、なんてあの人にあるんだろうかね」

「さあ……」

「キルシュも気にしなくてもいいよ」


 頭をなでられて、そんな歳でもないはずなんだけどと思いながらも、心の奥
ではもっと違う事を考えていた。自分は、魔力の絶対量が多い。
 つまり――――即戦力になるということだろうか。もうすぐ人を殺すかもし
れないという事実に、それ以前に殺されるかもしれないということに、身震い
した。
 今度は無意識じゃない、リアル。


「人を殺すことが怖いかい?」

「わからない……だけどきっと、私が殺されそうになったなら、殺しても何も
思わないんだと思う」

「そう、ここは弱肉強食の世界だ。強くなければ殺されてしまう」


 まあ、まだ戦争ってことにはならないんだけどね。と、ルルは笑った。笑っ
た、のだ。それは彼女自身の気休めか何かか。もしくはエルフに対する何か?
どうでもいいことだ。キルシュは首を振って雑念を飛ばした。体がだるかった。


「ねぇ、精霊って見えるものなの?」


 ぽつりと言葉をこぼす。少し前から疑問に思っていたことなのだ。精霊は自
然のものらしいし、見えたら見えたで視界の邪魔にはならないのだろうか、と。
当然こんな質問が来るとは思っていなかったルルは、目を瞬かせた。


「え」

「最初の頃、リドルさんが言ってた。お前にも見えるようになるって」


 ルルは唐突な質問に悩みながらも、腕を組みながら首を傾げて思考を巡らせ
ているようだった。腕立て伏せを止めて、胡坐をかいて腿にひじを付き、到底
女に見えない格好をしながらひとつ、わざとらしいため息を吐いた。


「うーん、バレンシアさんが言うんだから嘘はないだろうけど……普通精霊は
エルフにしか見えないものなの。なんか意識をしたら見えるって言ってたけど、
どうなんだろうね」


 キルシュは彼女の答えに首をかしげた。


「エルフだけ?」

「ああ。エルフはもともと自然とともに生きる森の民だから、一番精霊に近い
からかもしれないわね。でも、キルシュは人間でしょう?バレンシアさんは本
当、わからないひとね。あんまり気にしないほうがいいこともあるよ」

「そうだね……」


 困ったように微笑む彼女につられて、キルシュも困ったように微笑んだ。吹
き抜けた風が、肌を掠めていく。





 
 異空間から抜け出して、部屋に戻ろうと廊下を歩いていると、髭の長いロー
ブに身を包んだ老人とリドルが話しているところを見かけた。書類を持って話
し込んでいるということは、それなりに大事な話なのだろうと思って、軽く会
釈をして通り過ぎようとした。


「うわ!」


 急に手を掴まれて、転びそうになった。勿論掴んだのはリドルらしい。


「な、なんですか」

「敬語はとれ。言葉が多すぎる」

「はあ」


 これはまた身勝手な言い分だ。敬語は使いなれていないが、使うべきだと思
って使っていたのに、拍子抜けした。リドルは老人を顎で指す。


「こっちはシュトラムハゼル。ここで今一番の魔術師だ」


 一番の魔術師、と訊いて、シュトラムハゼルと呼ばれた男性を見る。優しそ
うな風貌に、長めの白髪、柔和な笑み。どうもこの人と戦争が結びつかないが、
それは自分のような子供も同じか、と考え直した。
 そういえば前に、魔術の師匠をつけてくれると言っていた気がする。


「キルシュです」


 シュトラムハゼルに握手を求めると、彼も笑顔でそれに応じた。
 ぼろぼろの、焼け焦げた跡のようなものがある、もとは高値がついただろう
ローブを見て、ああこの人もリドルと同じなんだな、と思った。今までの人生
を語るような、そんな感じのするほつれ方。握った手に、少し驚いた。

 力強くて、硬くて、かさついていた。


「ふむ、また面白い子を拾ったね、リドル」


 シュトラムハゼルはリドルを見て、懐かしむように眼を細めた。


「お褒めの言葉かな?」

「違いない。……さて、私はそろそろ行かなくては」


 シュトラムハゼルはキルシュを見て、「わからないことがあったら訊きにき
なさい」と言って、一度肩を叩いてから去って行った。そこから優しさがしみ
込んできた気がして、目頭が熱くなった。


「西の塔だ。あいつは魔術の研究をしている」


 リドルが付け足すように言った。キルシュは頷く。何かあったら訊いてみよ
う。急に心強い人ができたかのようだった。


「あの人は何の研究を?」

「国全体を覆えるような、結界さ。国民が耐えられる魔力で、かつエルフが立
ち入ることのできないものを探してる。それが完成したらいくらでも全面戦争
が可能だな」

「……もうすぐ完成しそうなんですか?」

「いいや、まさか。俺はあいつが生きているうちに、できはしないと思う」

「そう、なんですか」


 あまりにも淡白なリドルの反応に、少し戸惑いを覚えた。親しそうに話して
いたわりには、距離をとったような言い方だったからだ。しかし、どこか少し、
彼の雰囲気が変わった気がしたので、この話題は避けた方がいいと本能的に思
った。
 きっとシュトラムハゼルは、リドルに近しい存在なのだ。


「ねえ」

「敬語が混ざった喋り方は元からか?」

「え、いや、違う、けど」

「じゃあ普通に喋れ。みっともない」

「リドルは、殺すとき、怖い?」


 リドルは瞠目した。キルシュはやはり失敗だった、と苦虫を噛み潰したよう
な顔をして、なんでもない、と言おうとしたが、それを言う前にリドルがそれ
を遮った。


「怖いよ」

「え……」


 意外だった。彼が怖い、なんて言葉を出すとは思っていなかったのだ。アル
ジュナのリーダー。向かうところ敵なしの、リドル=バレンシアがそんなこと。


「俺は何も感じない。痛みも悲しみも憎しみも愉しみも背徳感も。それがひど
く、怖いんだ」


 穏やかな微笑を浮かべながら、どこか遠いところを見て言うその姿は、まる
で普通の人を追っているかのようで、異様で、曖昧で、驚いた。


「ごめん、なさい」

「何を謝るんだ。俺は訊かれたから答えただけだ……参考にはなったか?」

 
 リドルは知っている。自分の心の迷いをすべて。
 

「……私、記憶がないの」


 捨てるものなんて、ほんとに少ないよ。自分の命に比べれば、手のきれいさ
なんて。それに、この手はもうすでに何人も殺しているのだ――――。


 リドルが、存外驚いた表情を見せた。繕うように、生活面での問題はないん
だけど、と呟く。こんなこと言うつもりじゃなかった、と後になって後悔した。
だって、そのあとの言葉が思いつかない。「魔術を教えて」?そうじゃない、
何を言おうとしたのか、忘れてしまった。


「すぐに戦争に出すわけじゃない。慣れるまで練習でもしてろ」

「……はい」

「キルシュ、手を出せ」


 いきなり何だ、とは思いながらも、素直に右手を出した。
 その中に落とされたのは、青い宝石のネックレスだった。銀色の、シンプル
で華奢な感じの、そして魔力が籠っているのがわかるもの。リドルを見上げる。


「これは?」

「お前がエルフに襲われて倒れていた場所に落ちていた。ものがいいし、魔力
が宿りやすそうだったから持っていたんだが」

「私、こんなの持ってなかった」


 記憶にないネックレスを眺めながら、首をかしげる。光に反射して、きらき
らと輝くそれは、一度は女として身につけてみたいと思っていたもの。こんな
ものがいいもの、買った覚えもないしもらった覚えもない。

 そうか、じゃあエルフの持ち物だったかもしれないな。と言ってリドルは続
けた。


「まあ、その宝石に魔力を応用して、シュトラムハゼルが昨日作ったものだ。
魔力をある程度制御する魔方陣を組み込んである。これで1度はお前の暴走を
防げる」

「私を信用してないってこと?別にいいけど」

「そういうわけではない。ただ、お前は前例がないほど魔力の絶対量多い。意
識しないところで暴走させる可能性もあるんだ。つけておいて損はない。俺も、
お前も、だ」

「あなたは、何か制御しているの?」

「俺ほど長く生きていると、無意識の暴走をすることもなくなる。体が覚える
んだろうな」

「そうなんだ……」


 キルシュはネックレスをじっと見つめて、それから首に下げてみた。思った
より自分にしっくりくるようで、魔力がついている分、落ち着くような気がし
た。窓に映る自分を見てみると、自分の青い目と見事に合っていて、ずっと前
からつけていたかのような統一感があった。


「お前に蒼は似合う」


 満足そうに笑ったリドルにつられて、キルシュも少し笑った。今日は素直に
言葉が滑り出してきた。今まで言えなかった部分も含めて、言える。


「ありがとう」

「期待してるぞ、新入り」





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