笑えないジョーク










 ローランドの塔で、キルシュは書類をまとめていた。
 あれから、ローランドの王城の教会で、シュトラムハゼルの追悼式がしめや
かに行われた。参列した者は、ローランドの騎士数十人と、王、リドルとキル
シュだった。ローランドのために結界を作っていた人のためにしては、随分と
小さな式だった。



 もっとも、王が出てきた時点で大きなことだったのかもしれない。
 キルシュは王を初めて見たが、初老の男性だった。リドルのように冷たいと
いった見た目ではないが、威圧感のある人だった。豪奢な服も、今ばかりは黒。
白いひげと、銀の杖がその黒に浮いていた。

 王はキルシュを見ると、おもむろに近づいてこう言った。


「後は頼んだ、後継者よ」


 憐れみさえ含んだ優しい声に、かっと顔が熱くなった。ぎゅっと歯を食いし
ばり、キルシュは丁寧に跪いた。押し殺すように、「必ず」と言うと、王は何
も言わず元の場所へと戻って行った。


 リドルも何も言わず、棺を眺めているだけだった。神官が何か言っているが、
キルシュも気にせずに棺を眺めた。今は骨しか入っていない棺を。


 発見されたときはすでに腐敗が始まっていた体をそのままにはしておけない、
と火葬されたらしい。一目でも姿を見たかった、と思いながら、その場に立ち
尽くしていた。




 リドルは恐らく王を尊敬してはいない、手を組んでいるだけだ。
 それもいつかは食らってしまうんだろう。
 

  そうじゃないのなら、どうして、そんな目をしていたんだ。










 シュトラムハゼルが遺した手記を見ながら、書類を整頓していく。壁に描か
れた陣を消さないように、そっと丁寧に。その陣は、以前のように光ってはい
ない。術者が死んだからだろう。

 焦らなくともいい。これらを理解して、ゆっくりと完成させていけばいい。
 そう思いながらも、やっぱり焦る自分がいた。
 そんなことしても失敗するだけだと分かっている。
 


 リドルは今何をしているんだろう。



 ふと思った。この塔に自分を連れてきたのはリドルだが、その本人はどこか
へ消えてしまった。尤も、もうほとんど共に行動することはないだろう。彼が
この塔へ様子を見に来ることはあっても、それだけだろう。

 キルシュはここで研究し続けなければならない。

 アルジュナがマイセルへ移動したから、彼らにもほとんど会えないだろうな。
そう思うと少しだけ寂しかった。少しだけ孤独を感じた。


 それでも、後継者になると望んだのは自分だ。
 完成させたい、そう望むのも自分だ。
 
 
「ふう、」


 いつもシュトラムハゼルが座っていた椅子に座る。
 少し埃っぽいにおいのする部屋で、これからの事を考える。だいぶ片付いた
部屋を見回して、何から手をつけるべきか悩んだ。
 ここでのキルシュの生活はローランドが保障する。食べ物は運ばれるし、水
は井戸がある。それに週2回、兵士が不自由ないか訪問してくるそうだ。監視
の意味も含めてだろうが。


 何も困ることがない。
 出かけるのは転移の魔術を覚えればいいだけだし、何も不自由がない。
 だから研究に専念しろ、他の事は考えるな。そういうことだろう。







「あっれ、君1人だけ?」


 耳元で声がして、反射的に懐からナイフを出して振る。耳障りな音がして椅
子が倒れた。キルシュは跳躍して、距離を取る。相手の顔を見たとき、息が止
まった。


「お前……!マイセルの奴じゃないのか!」

「誰もそんなことは言ってないよー。いつかはアルジュナと対立する組織って
カンジかな」

 
 土気色の肌。不気味な笑みを浮かべている少年は、いつかのウルだった。ど
うしてこんなところに。間合いを取って、ナイフを構えた。


「リドルもいると思ったんだけどなー、君だけか。用事あったのになー。アル
ジュナも移動したみたいだし」


 どうしよっか?と首を傾げたウルを睨む。


「帰れ」

「冷たいな」

 
  不気味に笑いながら、少年はじっとこちらを観察していた。
 キルシュはいつでも対応できるように、足に力を入れる。


「君がこれを継ぐのか。そりゃいいや……完成したら教えてよ」

「誰が」

「ところでさ、君、なんでリドルについてくの?なんとなく?」

「……だったら?」

「やめときなよ」

 
 ぞっとした。

 考えた自分にぞっとして、歯を噛みしめる。ウルは人の心を揺さぶるのが得
意だ、と思う。おそらく彼は、キルシュが心のどこかでリドルのことを恐怖し
ているのを知っているのだ。


「だって、今、リドルが何してるか知ってるの」

「そんなこと知るわけない」

「人殺してるんだよ」


 一歩、ウルが近づいた。落ちた書類をつま先で蹴って、キルシュに近づく。
その間に動けなかった。ナイフの切っ先が少し揺れたのを見て、ウルは静かに
笑った。
 冷たい指先が、首に触れた。ぱっと、以前首を傷つけられたことを思い出し
て、即座にナイフをウルの首筋にあてた。横から見たら変な光景だ。今、ウル
の手には何もないのに、凶器をあてがわれているような感覚がする。


「誰か、教えてほしい?」

「いらない」

「皇帝、だ」


 ローランドを治める王さ。


 囁いたウルに、耳を疑うよりも先に、やっぱりそうかと思った。同時になぜ
今なんだととも思った。いつかはその日がくるとは思っていたし、リドルが一
体何をどうしようとしているかなんて知らない。
 シュトラムハゼルがいなくなって、不安定な時に。それともそれが狙いなの
か。何のためにローランドを支配しようとしているのだろう。それは死んだシ
ュトラムハゼルか、リドルぐらいにしかわからないことなのだろう。ただ、キ
ルシュはアリスのように、リドルを妄信しているわけではない。ウルが言った
ことに、意外なほど冷静だった。


「強い力はいずれ狂気になる」

「そんなこと彼はすでに知ってるわ」

「どうかな。君は知った気になっているだけかもしれない」

「リドル=バレンシアを?」

「そうさ」

「知るわけない。あの人は自分を多く語ろうとしないから」

「彼は存在でそれを語ろうとする。言葉は陳腐なものでしかない」


 ウルは一歩、後ろに下がった。
 ぞっとするほど冷えた指先が離れて、少し安心する。
 少し見下ろす形になる少年をじっと見る。しかし、いくら探っても彼からは
不気味さしか出てこない。血の気のない唇から、それこそ秘密事のように静か
に紡がれていく。


「彼は人間の旅人と、エルフの族長の子供だ。エルフの族長は全てを見通す目
を持つ。子供もそれに従うが道理」

「見通す目?」

「未来や過去、まさに千里眼。……本で読んだことはないかい?黄昏色の瞳を
持つ者のお伽噺。君も知っているはずだ」

「……リドルの目は青い」

「それだ。彼の片目は青い、そしてもう片方は赤い。意味はわかるかい」

 
 首を振る。
 いつの間にか、ウルの話に聞き入っている自分がいた。ただの世間話にも聞
こえるし、もしかしたら何かの策謀かもしれない。少年の性質からいえば、後
者だ。それらを考える暇もなく、ウルは話を進める。


「儀式は失敗したのさ。本来彼に宿るはずだった千里眼を、彼は拒否した。そ
してまがいものが生まれてしまった。どうにもそれは均衡を揺るがすようでね。
僕らも大変なワケよ」

「もう一人のリドル?」

「名前はクロム。かわいそうな子。救いようのない子」

 
 訊きたいことは多くある。ウルの所属している組織を、リドルは知っている
だろう。だが、それだけではいろいろ繋がらない。均衡の意味をわかりかねる
が、口を開く前にウルが被せるように言った。
 首をかしげて、知りたい?と訊いてきたなんだか嫌な予感がして、キルシュ
は眉を寄せる。


「これ以上知りたかったらエルフの森に行ってみることだね」


 僕はこれでお役御免だから、と笑って、少年はかき消えた。
 まだ少年の声が耳に響いている。ぐらぐらと脳をゆさぶるような声だ。



 彼は何らかの意図があって、キルシュをエルフの森に誘ったのだろう。だが
これを、リドルに報告する気にはなれなかった。リドルは反対するだろうし、
何より動機が不純だ。人の過去を知るため、なんて。


 ただ、それを自分が知っている気がしてならない。
 行くべきか、行かないべきか。


 ずるずると、その場に座り込んで膝を抱えた。なんでこう、面倒くさいこと
ばかり起こるのだろう、愚痴をこぼしながら、ウルが蹴散らした書類を拾い上
げた。







 コンコン、とノックの音が聞こえて、ドアを振り仰ぐ。
 覗いた兵士は、ここの見張り役だった気がする。見知った顔だ。「どうかさ
れたのですか」と心配そうに駆け寄ってきた。キルシュは深くため息をつき、
とりあえず難しいことは研究を進めてからにしよう、と思った。
 恐らくリドルも数日の間に来るだろう。何の報告か、聞かずともすぐに知れ
ることだ。いらぬ混乱を招かねばいいが。


「なんでもありません」


 足をひっかけて、書類をまき散らしてしまっただけです。

 ナイフを見えないようにホルダーにしまう。


 この兵士が生まれ育った場所の王を、今自分の上司が殺していることを知っ
ている。せめて今は何も知らない小娘のように、おだやかに笑えただろうか。








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