ちっぽけな自由









 リドル=バレンシアが反逆し、政権を握ったという報道がされたのは昨日の
ことだ。リドルには昨日会った。相も変わらず感情の読めない顔をして、「気
にせず研究を進めてくれ」と、それだけ告げて去って行った。
 
 心にもないことを言うものだ。あの時リドルは、キルシュを見ていなかった。
視線をそらしたままの会話は、本当に珍しい。何か、キルシュが知らない重大
な問題があるのだろう。



 キルシュの元に駆けてきた、見張り役の人――――イルランは、息を切らせ
てキルシュを問い詰めた。


「お前は知っていたのか」

「――――知るわけありません。私はあの人のことをほとんど知らないもの」


 胸倉を掴まれたせいで、息が苦しい。それでも抵抗はしなかった。おおよそ
この反応は予想していたものだからだ。ついでにアルジュナのメンバーはほぼ
そうだ、と言うと、意気消沈したように膝をついた。
 こんなことになった理由を知らない。どうすればいいのか、なんて他人の事
を考える余裕もない。自分は巻き込まれて、といったら変になる。それでもキ
ルシュはリドルの掌の上にいるしかない。そう、決めたから。


「じゃあ、アルジュナはどうしてあんな男に導かれているんだ……!」

「皆エルフが憎いからです。利害の一致でしかない」

「お前も、そうなのか」

「私はシュトラムハゼルのあとを継ぐ、と決めているから。それだけ……でも、
関係ないとは言いません。私だってアルジュナの一員だから」


 イルランは震えていた。うつむいていて顔は見えないが、きっと怒りで震え
ているのだろう。もしかしたら泣いているのかもしれない。肩に手を置こうと
して、やめた。慰めなんて、何の効果にもならないことを知っていた。
 キルシュは居心地が悪くなって、視線をそらした。本当は知っていたのだが、
あえて言うこともないだろう。事を荒げるのはよくない。リアリズムな自分に
失笑したくなった。


「ローランドの兵士たちは、どうしていますか」

「訊いてどうする」

「此処にまで被害が及ぶと迷惑ですから。安心してください、私は政権に興味
がありません」

「……皆、様々な反応を見せている。ほとんどが反逆心を剥き出しにしている
が、リドル=バレンシアに共感する者もいれば、畏怖嫌煙する者もいる。ロー
ランドは修復不可能なほど荒れてしまった」

「つまり大きな事が起こるということですね」

 
 本当にあの人は何を考えているんだと頭が痛くなった。フォローも何も考え
ずに事を運んだというのか。いや、それはあの性格ではありえないだろう。彼
はしっかり地盤を固めるタイプだ。

 ならあえて国を揺るがした……?
 それとも早急に政権を握る必要があったのか。

 こればかりはリドルに訊いてみないとわからない。すぐにキルシュ自身が会
える可能性は低い。ごたごたしている時には会えないだろう。そもそもこの動
乱は収まるのか?考えても答えは出ない。
 重いため息を吐く。事実、イルランとキルシュにはどうしようもできないこ
とは明白だった。

「あなたは、どうするつもりなのですか」

「オレ、は……」

「私を殺しますか?リドルに挑みますか?」


 それとも今は甘んじて彼に従うか。イルランたちローランドの兵士は今、問
題をたたきつけられている。避けようのない事実を。


「オレはあなたを殺さない。あなたは結界を作って、人を守るために必要な人
だ。だけどオレはリドル=バレンシアが許せない。逆に訊こう。あなたはオレ
を殺すか?」

「…………」


 キルシュは少し考えを巡らせた。彼とここで戦って殺したとして、なんら問
題ない人間だ。それほどに薄い存在だ。だけどそれを消し潰してしまえるほど、
キルシュは薄情な人間ではなかった。それに、


「殺さない……でも、あの人に挑むことはやめたほうがいいです」

 
 イルランじゃ敵わない相手だ。キルシュでも勝算のあるイルランが、リドル
に勝てるとは思わない。軍隊を組織したって同じだ。魔術で対抗するなら話は
別だが。リドルの力は化け物じみている。


「どうか私が研究を続けるところを、見守っていてはくれませんか」


 見下ろした彼は、あまりに弱っていて、キルシュにはどうすることもできな
かった。どうすることもできない問題だ。あの王を守るために、彼は兵士にな
ったはずだった。それをあっさりと壊されたのでは――――。
 顔をあげたイルランの目に、迷いはなかった。
 見覚えのある、信念を携えた目だった。


「ありがとう。でも、譲れない。オレも、他の兵士も」


 死ぬのは本望だとでもいうのだろうか。
 リドルは本当に何をしているのだろう。少し苛立ってきて、眉を寄せた。そ
れを不機嫌と取ったのか、イルランは小さく謝罪した。それからゆっくりと立
って、研究室から出て行った。彼に同情でもしたのだろうか、何もできなかっ
た自分に腹が立って、少しだけここにいることを後悔した。










 それから、1週間経っても彼が現れることはなかった。代わりに、新しい見
張りが来た。自分より少し上ぐらいの女性。引き締まった二の腕に、真っ直ぐ
な目は、少しだけリシェルに似ていた。あの子は、今何をしているだろうか。
無事だろうか。


「アルジュナの方ですね」

「よくわかったね」

「あの人は死んだのですか」

「…………」


 女性は目をそらして、何も答えなかった。それは明らかな肯定だった。イル
ランは仲間と果敢に挑んで、それからあっさりと死んだのだろう。なんて淡泊
な最後だろうか。虚しくなって、天を仰いだ。
 私は一体何をしているのだろう。


「リドルはどうしていますか」

「ローランドをまとめるのに必死になってる」


 アンタが心配することじゃない。じきに落ち着くだろう。
 女性は淡々と言って、私たちだって理由は知らない。と続けた。それでもリ
ドルについていく理由を尋ねると、苦笑した。


「あの方は人をまとめるのが得意だ……私は、あの人外が望む最後を見てみた
いだけさ。他の奴らもそうだ、なんだかんだ言って、あの方は信頼されてるん
だよ」


 なんて妄信だ。ぞっとした。まるで魔術にかかったように、それはアルジュ
ナに広がっている。リドルの何を見て、信頼をしたのだろうか。強さか。ハー
フエルフというものに可能性を見出してか。あの人の底の部分は、どうしても
ヒトらしい部分が根付いているというのに。
 完璧な指導者などこの世にはいない。そんな賢しい人物なら、もっと事なか
れ主義を貫くはずだ。あえて反抗するのは、彼をあそこまで動かす理由がある
からだ。


「そう……ですか」

「あんたはどう?」

「え?」

「あんたはあの方を信頼しているかい?老師には懐いていたみたいだけど」

「…………」

「あんたの髪、金色らしいね。エルフのモグリじゃないだろうね」

「……、」


 すぐに答えを言うことができなかった。
 つまったキルシュを横目に、女性は鼻で笑った。それがひどく癪で、眉を顰
める。「あんたを放っておくのも怖いもんだ」続けて聞こえた言葉に、彼女の
頬を思い切り張った。
 乾いた空気を裂く音が響いた。女性は少し驚いたような顔をして、こちらを
見つめていた。まるでキルシュが反抗しない、とでも思っていたようなそぶり
だった。何を命じられて彼女がここに来たのかは知らない。それでもキルシュ
は彼女を認めることは絶対にできない、と思った。


 それは私という存在を認めた、シュトラムハゼルへの冒涜だ。
 師と仰いでいた人物を、嫌な風に言われたくはなかった。


「気に障ったかい、それとも図星で?」


 女性は変わらず嘲笑している。キルシュも笑みを浮かべた。
 扉を開けて、そこにするりと入りこんだ。こんなことをしている暇はなかっ
た。自分には何より優先してやるべきことが、あった。偽善的な感情を振り回
してどうなるわけでもない。


 もう終わったことなのだ。





「飼い犬に手を噛まれないように、気をつけて」


 呟いた言葉に女性が何かを言い返そうとしたところで、扉は静かに閉まった。
















戻る?  進む?